はじめに
通常、企業は従業員の労働時間数を把握し、その時間に見合った対価として賃金を支払っており、労働時間が法律で定められた時間数を超えている分については割増賃金を支払うことになります。
しかし、業務の内容や性質、その従業員の具体的な業務遂行によっては、必ずしも従業員の労働時間を正確に把握できない場合があり、企業において割増賃金を支払う必要があるのか判断できないことがあります。
労基法には、このような場合を想定した規定があり、労基法38条の2は「事業場外で業務に従事した場合」に、「労働時間を算定し難いとき」には、所定労働時間だけ勤務したものと扱ってよい、とされています。
つまり、この規定が適用できれば、労働時間の全部又は一部について所定時間分の労働があったと扱えばよく、割増賃金を支払う必要がなくなります。
この規定(労基法38条の2)に該当するかどうか争われたのが、最高裁令和6年4月16日判決(以下「本件判決」と言います)で、事業所の外で業務に従事する従業員に割増賃金を払うべきなのか、悩まれる際に参考になります。
本件判決の事例
雇用主Yは、外国人の技能実習に係る監理団体。
従業員Xの主な業務は、次のとおり。
・自らが担当する特定地方各地の実習実施者に対し、月2回以上の訪問指導を行う
・技能実習生のために、来日時等の送迎、日常の生活指導や急なトラブルの際の通訳を行う
また、Xの業務の実態は次のとおり。
・実習実施者等への訪問の予約を行うなどして自ら具体的なスケジュールを管理
・Yから携帯電話を貸与されていたが、これを用いるなどして随時具体的に指示を受けたり報告をしたりすることはない
・就業時間は午前9時から午後6時まで、休憩時間は正午から午後1時までと定められていたが、Xが実際に休憩していた時間は就業日ごとにバラバラ
・Xはタイムカードを用いた労働時間の管理を受けておらず、自らの判断により直行直帰することもできた
・月末には、就業日ごとの始業時刻、終業時刻及び休憩時間のほか、訪問先、訪問時刻及びおおよその業務内容等を記入した業務日報をYに提出し、その確認を受けていた
このようなXの働き方は、「事業場外で業務に従事した場合において、労働時間を算定し難い」といえるかどうか、YがXに対して割増賃金を支払うべきかどうかが争われた。
判 決
Xの業務は、実習実施者に対する訪問指導のほか、技能実習生の送迎、生活指導や急なトラブルの際の通訳等、多岐にわたるものであった。
Xは、本件業務に関し、訪問の予約を行うなどして自ら具体的なスケジュールを管理しており、所定の休憩時間とは異なる時間に休憩をとることや自らの判断により直行直帰することも許されていたものといえ、随時具体的に指示を受けたり報告をしたりすることもなかった。
このような事情の下で、業務の性質、内容やその遂行の態様、状況等、業務に関する指示及び報告の方法、内容やその実施の態様、状況等を考慮すれば、Xが担当する実習実施者や1か月当たりの訪問指導の頻度等が定まっていたとしても、Yにおいて、Xの事業場外における勤務の状況を具体的に把握することが容易であったと直ちにはいい難い。
また、XがYに対して業務日報を提出して、所定労働時間外の労働が認められた場合は割増賃金を支払っていたが、これはYが業務日報の記載のみによらずに労働時間を把握できた場合に限るとYは主張しているため、この主張について精査しなければ、業務日報の正確性が担保されているとはいえない。
高等裁判所に差し戻して、業務日報の正確性等を再度検証すべき。
解 説
通称「事業場外みなし労働時間制」と呼ばれる労基法38条の2は、事業所の外で業務に従事することが多い業種で比較的利用されています。
例えば、外回りの営業、旅行添乗員、機械設備の設置・メンテナンス保守整備などです。
この制度が開始された当初、行政解釈(昭和63.1.1基発1号)では、「労働時間を算定し難いとき」に当たらない例として、
①何人かのグループで従事し、そのメンバーの中に労働時間を管理する者がいる場合
②無線やポケットベル等によって随時指示を受けながら労働している場合
③事業場で訪問先、帰社時刻といった当日の業務の具体的指示を受けたのち、外で指示通りに従事し、その後に事業場に戻る場合
を挙げていました。
それからしばらく経った平成26年1月24日、旅行添乗員の業務に「事業場外みなし労働時間制」を適用できるかが争われた事例の最高裁判決(以下「平成26年判決」といいます)が出ました。
ここでは、以下のような事情から、旅行添乗員には適用がないと判断されています。
・ツアーの旅行日程は、会社とツアー参加者との間の契約内容としてその日時や目的地等を明らかにして定められていて、旅行添乗員が自ら決定できる幅は限られている
・会社は、添乗員に対し、携帯電話を所持して常時電源を入れておき、ツアー参加者との間で契約上の問題やクレームが生じ得る旅行日程の変更が必要となる場合には、会社に報告して指示を受けることを求めている
・添乗員に対し、旅行日程の管理等の状況を具体的に把握することができる添乗日報によって、業務の遂行の状況等の詳細かつ正確な報告を求めている
・この添乗日報は、ツアー参加者のアンケートを参照することや関係者に問合せをすることによってその正確性を確認することができる
この平成26年判決によって、「事業場外みなし労働時間制なんてほとんど適用がない」という批判が多く出ましたが、よく読んでみますと、行政解釈で例に挙げられている②や③を参考にしており、一定の合理性はあると思われます。
本件判決と平成26年判決では結論が異なったのですが、これは何が違っていたのでしょうか。
一つは、従業員の業務遂行の自由度の違いです。
本件判決のXは、自分で仕事のスケジュールを立てて、自己判断で休憩を取る、直行直帰を行い、外では業務指示も受けていません。
他方で、平成26年判決の添乗員は、旅行日程は予め決められていて裁量はほとんどなく、トラブルが起きた時は会社に電話をして指示を仰いでいます。
もう一つは、事前事後における業務遂行の把握の違いです。
本件判決のXは、事前に1日のスケジュールを把握することが困難ですし、事後の業務日報についても、Xによる記載が本当に正しいのか、確認する方法が明確ではありません(この点は差戻し審で深堀りされることでしょう。)。
他方で平成26年判決の添乗員は、旅行日程によって事前に1日のスケジュールは把握できますし、事後の添乗日報からも労働時間を知ることができ、しかも、第三者からの情報によってその内容が本当に正しいのか確認することができます。
今後は、この制度によって割増賃金を支払わなくてよいかどうか検討する際は、こういった事情に着目していくことが大切であると考えられます。
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